本文より。 「また、何人かの碁打ち将棋指しを連れた本行院日海(のちの本因坊算砂)の姿もあった。織田 信長と縁の深い日海は、光秀には出向きはしなかったが、秀吉の祝いには駆け付けた。これに、 囲碁好きの黒田孝高が、 『御坊には是非とも一局ご指南頂きたい』 といえば、小西行長も、 『今年も水無瀬様の将棋の駒を頼みまっせ』 と微笑みかけた。既に二人の間には対抗心が生まれているのだ。」