三人の二代目 上著者:堺屋太一発行所:講談社 発行日:平成23年5月11日 |
本文より。
「『碁打ちの本行院日海、将棋指しの大橋宗桂なる者を伴って登城しております』
織田信長が、小姓頭の森蘭丸からそう聞かされたのは、京から安土に帰って四日目、十月十二
日の朝のことだ。
『何、碁打ちの日海。あの小坊主か……』
信長は一瞬怪訝な表情を見せたが、すぐ和らいで訊ねた。
『大橋宗桂とは、禅宗の入道か』
『名から見て禅宗でしょうが、入道とは思えませぬ。総髪を垂らした大男です。』
蘭丸は丁寧に説明してから続けた。
『二人して上様に、新しい将棋を披露したいと申しております』
『新しい将棋……。面白い、見てやろう』
信長は頷いて下書院に向かった。好奇心の強い信長は、新奇なものに誘われ易い。
『何だ、小将棋ではないか』
下書院に入った信長は、据えられた盤に並んだ四十枚の駒を見下ろして呟いた。
『形は小将棋ながら、仕様が異なります』
平身していた日海は、きれいに剃り上げた頭を少し上げて応えた。
『よし、やって見せよ』
信長は盤側に胡坐をかいた。日海と宗桂はあらかじめ指した棋譜を辿って十を数えるほどの間
で一手ずつ指す。十手、二十手、三十手、宗桂の駒が前進、角が替わり、銀と桂を取り合う。や
がて五十手、宗桂の歩が成り込み、飛車が躍り出た。必勝の態勢と思われた時、日海は駒台の角
を敵陣に打ち込んだ。それを見て、
『ほお……』
と声を上げたのは将棋好きの茶坊主、針阿弥だ。事前に頼んでおいた通りである。
『何と、敵の駒を奪えば使えるのか』
信長も身を乗り出した。
『いかにも。敵の駒を奪えばどこにでも打てる。一番の要所で使える。これぞ新工夫の奪り駒使
いの将棋にございます』
日海は平伏して応えた。
『面白い……、続けよ』」